「最近、暇だったので何か作ってみました」がないよねー
と、すこし前に友達にいわれて、

どうかんがえても暇じゃないのですが、何か作ってみました。



うちの大学院のなんたらかんたらコースの受講者に貸与されるPC
受講者20人近くが同じPCだから、それじゃ芸がないなーってことで、










赤くなりました。
作ってるときは勢いで何も考えずに作ったのですが、
これはこれで、ちょっと持ち歩くには勇気がいるなー
と、若干の後悔、剥ごうかな、、、

というか次の日の朝
貼ったことを忘れてて、「をっ、赤っ!」と少し自分で驚いたww

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ばつ。 なんか、いろいろとムリ。

よくドラマとかで、
仕事一辺倒なお父さんが家に遅くに帰って来て、
奥さんの「無理しないでくださいね」という気遣いに、
冷めた感じで「仕方ないだろ。」っていうシーンがあるけど、

あれ見てて、「仕方ないわきゃないだろう、」と、
「自分は『仕方ない』を言い訳にしないな~。」とか思ってたけど、
わかった、無理だ、言ってしまう。
「仕方ない」というか「どうしようもない」というか、
「どうにかしようと思えばできなくはない」んだろうけど、
どうにかする気力がなくて、そこで思考停止してしまって、
だから「仕方ない」んだろうなって。

自分も不意に「しかたないやん」と言ってしまって、
言ってしまった事に嫌悪しながらも、その事自体「しかたないやん」
と思ってしまって、以下ループ。

しかもまぁ、そういう厄介事がだいたい自分で足を突っ込んだもの達だから、
もう、なんか、救いようがない。

そんな感じで、
精神的な余裕がなくなって、
ダークサイドに落ちてます、落ちまくり。

そんなこんなな日々を切々と繰り返してるのすが、
自己犠牲の上に成り立つ仕事・作業ってのはダメだな~とつくづく感じました。

ましてや、その自己犠牲に不平感を持ってしまってはもっとダメ。

相手に向けておこなった努力や投資に対して、
「それに見合うリターンがあるべき」とか「相手も同等の負担を強いるべき」
みたいに深いところで思ってるからなんだろうな、たぶん。

「なんで自分はこんなに苦労してるのに、ったく!」とか、
「なんで?私はこんなにあなたのこと思ってるのにっ!」とか、
「今まで育ててやったのに何だその態度は!」とかとか、

言いかえれば、
→相手も自分と同等の苦労をすべき。
→自分と同等の愛情を返すべき。
→今まで掛けた手間に見合う人格になるべき。

そんな感じなことなんだと思う。

ほら、人に質問した時とかに、知ってるのに、
「そういうことは自分で調べなさい」とか言うのも、
相手の自主性とか調べる経験をさせるってのがメインにあるのだけど、
深いところでは、
「自分は苦労してその知識を得たから相手も同等の苦労をして得なさい」
みたいなのがあるからかもしれない。自分も少しそんなのがあるかも。

逆の視点からいえば、
「相手から受ける施しを当然と思ってはいけない」ってことなのだけど、
でも「与える方は施しでも、受ける方は施しとすら気付かない」
なんてこともあって、

だから、
「(自己犠牲の認識を持って)○○やっとくよ!」とかいった事とか、始めはそんなこと考えてなかった事でも、じわじわと負担が大きくなってきたりして、
それらに不平感を持ってしまっても、
相手にとっては「だって『やっとくよ!』っていったやん」って事になって、
みごとな気持の行き違いに。

プロジェクトマネジメント云々でなくとも、
人として与える方でも受ける方でも、
そういうトコは心にとめとかなきゃなー。
と、真摯に思う今日この頃でした。

って完全に愚痴になってしまってるけどww


 

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